空に浮かぶ雲なら

関ジャニ∞アプリの説明をしたくて作ったブログです。

私の大好きで大切な関ジャニ∞へ

 

 

明日、私の大好きなアイドルグループ、関ジャニ∞のグループ名が変わる。

そのことについて、自分の想いをここに記す。

かなり利己的な文章になるので、たくさんの人に届いてほしいとは特に思わず、関ジャニ∞への偏った愛を持った人か、未来の自分か、あるいはご本人にだけ届けばいいなと思い書いている。(おこがましすぎる)

 

 

2024年、1月。

歴代のシングル曲のサブスクリプションが解禁され、喜ばしい気持ちでいっぱいの中、久しぶりに7人、6人、5人の歌声を辿って聴いていると、どうしてもちょっぴりしんどかった記憶がひりひりとよみがえってきた。

 

あの時期はたくさん泣いた。しんどかった。

でも、あの時期、すばるくんも、亮ちゃんも、横山君も、村上君も、やすくんも、丸ちゃんも、大倉君も、私たちに丁寧に大切に誠実に、自分の気持ちを伝えてくれていた。

私が今もあの頃も何よりも願っていたのは、彼らが彼らの想うがままに生きてくれること。自分たちの気持ちを大切にすることだった。

脱退という事実はそりゃあ寂しくて悲しくてつらかったけど、ひとりひとりが自分のことを大事にした、自分の気持ちを大切にした結果なんだと思うと、それは必然で、わたしが納得するとかしないとかそういう問題じゃないんだ、彼らはこうやって前に進んで、世界を広げていくんだと思うことができた。

 

そして。

あのときメンバーひとりひとりが、自分たちの気持ちを大切にしてくれていたように、

いまの私の気持ちは、私にしか大切にできない。

 

私はすべてにおいて当事者ではないので、グループ名が変わることに「寂しい」と思うことも憚られるような気持ちでここ数か月の日々を過ごしていた。それが人としてあるべき姿だと、なんとなく信じていたんだと思う。

 

でも、そっちの方が寂しいじゃないか。

グループ名が変わったからと言って何が変わるわけじゃない、これからも5人が活動してくれることがすべてだ、そういう想いはもちろんある。

だからと言って自分の中にある寂しさを、関ジャニ∞との思い出を、心の見えないところに折りたたんで押し込めてしまっていいのか。

 

 

他の誰も入ることができない、わたしと「関ジャニ∞」の間に生じる愛のことを、わたしは考えたい。

すべてが始まる前に「関ジャニ∞」を大好きだったことを、書き残しておきたいと思って、こうやって書くことを決めた。

 

 

 

 

私は2016年、自分が20歳の時、関ジャニ∞を好きになった。

音楽は大好きだったけど、アイドルというエンターテイメントとは縁がなく過ごしてきた10代。

看護師の国家試験の勉強と実習に明け暮れ、ぼろぼろの私の心の隙間にものすごい勢いで彼らは入り込んできた。

沼に落ちていく瞬間ってどうしてあんなに楽しいのか。

7人が笑っていることがなによりも嬉しかった。ひとりひとりの歌声を聞き分けることが楽しかった。

実習からの帰り道、底抜けに明るい歌詞を心にしみこませて歩いた。

 

 

 

2017年、助産師学校に合格して上京し、はじめての一人暮らし。

同じように一人暮らしをしている亮担の友人と家を行き来し、明け方近くまでDVDを見る日々。リアルタイムのクロニクル。自分だけのハードディスクは関ジャニ∞の録画でいっぱい。電波に乗せられたスバラジ。最高の日々だった。

 

JAMコンではじめて東京ドームに行って、大好きな丸ちゃんが生きていることを知って、7人の歌声を聴いて、ダンスを見て、トロッコに叫んで、腕を振り上げて。

世界にこんなにピカピカした幸せな場所が、心の底から楽しい時間があるのかと、何度も何度も思った。

7年前のことなので思い出補正も入っているかもしれないが、ノスタルジアで丸山さんのパーマヘアの隙間から飛び散る汗のきらめきを今でも覚えている。この世で一番美しい雫を見たと思った。

ライブのあとは地元になかった鳥貴族にはじめて行って、興奮が冷めやらず、朝までカラオケでDVD鑑賞をした。

朝陽がまぶしくて、ライブの余韻で胸が苦しくて、ライブ中抱きしめすぎたうちわがボロボロで、瞬間全部がいとおしかった。

 

泥棒役者の公開。友人たちと公開初日の最初の回を見に行った。

助産師学校の実習がかなりしんどくて、空いた時間に泥棒役者を見に行くという日々を送っていた。食費を切り詰めてでも泥棒役者を見に行く日々、幸せだった。

 

 

2018年は結構しんどかったけど、やっぱり自分はすばるくんが大好きだった。

7人が自分たちの言葉で愛を伝えてくれたのが嬉しかった。

その辺の想いについては、まだちょっとひりひりしてて、うまく言葉にできない。いつか書けたらいいなと思っている。

あのとき亮ちゃんがステージにいてくれたことを、私は絶対忘れない。

GR8ESTツアーを決行してくれたことには感謝しかない。

少し怖かったけれど、音楽をただただ楽しむ時間がそこにあったことを私は確かに覚えてる。

スカパラと一緒に無責任を歌って踊って、アンコールでここにをみんなで歌って、血液が逆流

しそうなくらい楽しかった。彼らのつくる音楽が大好きだと思った。

 

2019年もちょっとしんどかったね。

それでも、15祭は100%楽しいだけの時間だった。今もそう思う。鈍感なわたしでよかったと思うし、そんなわたしでいさせてくれたこと、今はすごくすごく感謝している。

安田君の舞台を見に大阪に行って、All you need is laughを聴きながら町を歩いたのが楽しかったな。

友よという曲に出会えたこと、彼らがこれからも関ジャニ∞でいてくれることが何よりうれしかった。

 

2020年、ジャニ勉の収録にはじめて参加して、コロナが来てしまって。長く関ジャニに会えない日々が続くなんて夢にも思っていなかった。

 

丸ちゃんの誕生日、久しぶりにライブで会えて、一緒にお祝いして。

友達とライブ前の時間を過ごしたりとか、うちわをつくったりとか、そういう幸せを久しぶりに思い出して、この場所がずっと守られますようにと願った。

 

2022年はでっかい場所でライブしてくれたね。日産初日は、わたしの走馬灯に入ると思うよ。見たことのない景色に一緒に

ヘドウィグ、パラダイスと丸山さんの演技になまれ多く触れることができて、心をたっぷり動かして、幸せな一年だった。ヘドウィグには、いつかもう一度会いたい。

 

2023年はライブこそ多くなかったけど、濃い思い出がたくさん。

サタプラの公開収録当選、ロッキン参加・・・・・・

そこからはちょっとやっぱりしんどいことも多かったけど、彼らはいつでも発信を絶やさず、心のそばにそばにと言葉を尽くしてくれていた。

 

 

私のなんとなくじめじめした思い出が多い20代の(あと2年残っているけれど)数少ない明るい場所には、いつも関ジャニ∞がいた。

私の20代を明るく彩ってくれた。

21歳で上京してから地に足をつけて歩くための力を、

この年で青春と呼べるような、なりふり構わず楽しむことができる時間を、

心の奥底から湧き上がるときめきを、関ジャニ∞がくれた。

 

 

9月の会見後、あなたたちがすぐにファンクラブサイトにアップしてくれた動画を見たときは、大丈夫だった。

大丈夫、何も変わらない、大丈夫と、心から思った。

グループ名が変わるという報告を、誠実に明るく伝えてくれたことにも、すごくすごく救われた。

致し方ない、と思うことができたのは、あなたたちの笑顔と、とびきりの愛に溢れたユーモアのおかげだった。

 

5人が5人でこれから活動を続けてくれる。

私はその事実さえ知ることができたらそれでよかった。

今の状況に誠実に向き合い、私たちに発信してくれる彼らのことが大好きだと思った。

 

 

名前が変わったからなにかが変わるなんてことはない。

なにより、5人がこれからも5人でいてくれることが素晴らしくて、嬉しくて、それだけでいい。

これは紛れもなく私の本音だ。

 

 

でも、それでも、寂しい。

これも、私の本音だ。

寂しくてたまらない。

 

名前って、他のものと区別するための記号、くらいに思っていた。

でも、決してそんなことはない。記号なんかじゃない。

 

わたしはこの8年ずっと、愛をもって、関ジャニ∞の名前を呼んできた。

 

村上くんが「俺たちは関ジャニ∞でよかったぞ」と叫んだとき。

すばるくんがドリフェスで「関ジャニ∞っていうアイドルグループやっています」と叫んだとき。

自分に届いたファンクラブの会員証をはじめて手にして、誰かに見せびらかしたい気持ちでいっぱいだったあのとき。

はじめてのライブに行く前、勝手に仕上がれのコールを必死に覚えたとき。

隣の友人の手を握り、泣きながらBJを聴いたとき。

15祭ツアーで東京ドームののぼりと一緒に写真を撮ったとき。

友よのPVを見て涙が止まらなかったとき。

8BEATの広告を渋谷の街で探して、うれしくて何枚も何枚も写真を撮ったとき。

やっと会えたアリーナツアーで、目を閉じてフェイスシールドをして、心の中でエイトコールをしていたとき。

ロッキンの青空の下で手を挙げて叫んだとき。

 

私はいつも、とびきりの愛をこめて、関ジャニ∞の名前を呼んでいた。

呼んでないときも呼んでいた。心の真ん中の大きな幹に彫っているように、刻んでいた。

 

愛しい、愛しい思い出が詰まっている。

それは、私の知らない12年と、私が知っている8年にも詰まっている。

間違いなく、その名前は愛をもって呼ばれてきた。

 

 

きっと新しいグループ名に、私はこれからも愛を注ぎ続ける。

メンバーのみんなだってそう。

とびきりの愛を注いで、大好きな大切な存在になる。絶対にそう。

それでも今のわたしの寂しい気持ちを、関ジャニ∞というグループ名が大好きだったという気持ちを、絶対に忘れたくない。忘れないために、ここに残している。

 

 

今前を向いて、新しい翼で羽ばたいていくあなたたちを、心から誇りに思う。

同じ時代、たまたま巡り合うことができた幸運に、ずっと感謝してる。

 

どうか、これからのあなたたちの道が明るくありますように。

あなたたちは、どんなときも、自分たちの進む道を正解にしてくれる人たちだから。

それは、今は違う場所に立っているメンバーにも、そう思っている。

 

 

むせかえるほどにまぶしい場所に、いつも優しく手を引いて(時には無理やり引きずり出してくれて)ありがとう。

私が好きになった最初のアイドルがあなたたちでよかった。

私は知らない歴史も、辛い過去も、それがあったからあなたたちがいると思うと、すべて丸ごと抱きしめたい。この先もそう思える未来でありたい。

 

 

 

大好きでした。今でも大好きです。

これからも、変わらない、変わり続けるあなたたちを、できるだけ長く応援できたらと願っています。

 

 

 

 

関ジャニ∞でよかった。関ジャニ∞のファンで、よかった。

これからもずっと。